「昨日の〇〇丸さんの釣果は凄かったよね!」、「でも△△丸さんの釣果の方が・・・」など、船宿さんのHPを開けばほぼリアルタイムに手に入るその日の釣果情報があります。

釣友と意気揚々と「それでは明日は△△丸さんにしようか」と、翌日の釣りに想いを馳せる、期待十分の心持ち、楽しい打ち合わせがあるものです。

ただ、釣果情報に「5~30匹」などの記載があると、「きっと自分でも20匹は、いや、あわよくば25匹、いやもっと・・・」など、つい考えてしまうものでもあります。

そういった「楽しい釣り師目線」も微笑ましいもので、誰でも、お幾つになっても持ち合わせているものではないでしょうか。


そんな中実際の釣果情報は「5~30匹(内訳は10人乗船で一桁の釣果がほとんどで、30匹は断トツの釣果)、平均はツ抜け(10匹)ちょっと」なのかも知れません。

「でも、それではりょうさん、釣りに行く前から楽しさの勢いが削がれちゃいますよ!」と言われてしまうかも知れません。

それは最もなことで、そんなとき僕は「釣りはロマンを釣り上げに行くんだよ」ととぼけることにしています(笑)


さて、先のブログ記事の武道の本の中に、弓道の達人の言葉があります。

それは・・・

「無心になろうとすること自体、無心ではない」といったものです。

また

「当てる弓ではなく、当たる弓・・・意識して当てようというのではなく、正しい弓を引いた結果として当る」

釣りではどうでしょうか?

「誰それが釣ったではなく、自分が釣れる釣り・・・釣り師目線で釣ろうというのではなく、好敵手の気持ちを想い図り、それに合った釣り方をした結果釣ることができる」

ではないでしょうか


無心で釣る

好敵手が気難しいときほど、「何故そうなのか」を考え、相手の懐に自然と入り込んで行き、気付けば自分の間合いでハリ掛かりさせる。

刻々と変化して行く自然のこと、色々と考えが交錯し、無心の境地で釣り続けることは難しいかも知れません。

でも、釣り大会であるとか、ご自分の記録更新がかかった釣りの場合など、その時いかに無心で釣り続けられるかどうかは非常に大切なことで、その千載一遇のチャンスを逃してしまうのか、手に入れられるかの分かれ目になるかも知れません。


釣りでは

「嵌った時に無心で釣る」

であるかも知れません。