ある格闘家の本を読み返していて、ふと目に留まったった一文がありました。

その格闘家は、かの剣豪、宮本 武蔵の「五輪書」を引用、解説されていました。

その中には「覚悟薄き時は、人に転ぜらるる事有り」という見出しが付けられていて、「いざ太刀を手にしたならば、それはみな、敵を切る縁なり」と書かれていました。

それは・・・

真剣勝負で敵の太刀を受けたり、そのままつばぜり合いをしている時にも、「太刀を受けるということは、防御では無く、敵を切る為に受けている、何事も切る縁と思うことが肝要也」と、晩年書き上げたとされる書の中であっても、かなりの場面を切りぬけて来た武蔵ならではの気迫が伝わってくる一文でした。


釣りでは・・・

敵は、好敵手とも言い替えることができる対象魚でありますが、釣りは剣と違い、命を賭す勝負ではなく趣味なのですが、その教えを当て嵌めてみるならば、「誘い下げをするスピード」1つ取ってみても、なぜそうするのかは、今まさに対峙しているカワハギを釣り上げる為であって、誘い下げをするために釣りをしているのではないということなのです。

それは、タックルのメンテナンス、仕掛け作り、アサリの殻剥き、情報収集他全てが「カワハギを釣ること」の為の行為だということができます。


情報化社会の今、カワハギを釣るための情報、それは道具であったり、釣り方であったり様々ですが、1枚でも多くのカワハギを釣りたいのであれば、そういったモノをいざ手に入れても、それを十分理解して使いこなすことが重用であって、闇雲に実釣で使ってみても空回りするだけなのです。

その先には

そのモノを毎晩愛でながら、1杯呑るのがこの上なく楽しいのであればそれも一興、趣味なのですから全く問題ありません。

ただ・・・

カワハギとの真剣勝負をするという角度から見据えると、「これを使えば釣れる」といったことは中々見込めません。


名手と呼ばれる方々はきっと、「全ての所作は1匹を釣るために」という考え方に基づき釣りに臨んでいると思いますし、もし武蔵が釣りをするならば、やはり同じ心境だったのではないでしょうか。