もう20年以上前、つり情報誌を読んでいたら、自宅から4キロ余りにある船宿を発見したのでした。

それまで船釣りは数えるほどで、夜メバルであったり、ハゼ釣りであったり、ワタリガニ掬いは中学生の頃、船橋出船の船に電車で行った思い出があります。

本格的に船釣りを始めようと思い立ったのは、それまでタナゴ、コイ、ブラックバスと楽しんできた釣りでしたが、ブラックバス釣りの人口が急激に増え、オカッパリの好ポイントでは、朝も夜も昼も釣り人で一杯で、釣り場周辺には、ロッドが入っていたケース他が無造作に捨てられていた時もあり、「こんな環境で釣りをしたくないね」と、当時の仲間とワンボックスの中でカップラーメンを作り、釣りをせずに帰ったことも切っ掛けだったかも知れません。


当時持っていたバスロッド2本、ベイトリールに巻いてあったナイロンを、ダクロンの糸に巻き替え、その船宿さんにアナゴを釣りに行ったことが最初でした。

その船宿さんは、ライトタックルの創始者とも称される、東京湾でもトップクラスの船長が舵を握る船宿さんで、当時ショックリーダーを知らなかった僕は、「何でPEラインが2本(ダブルラインのこと)になっているんだろう? なぜこういった結び方(結節法)をするのだろう?」と、慣れた手つきでビミニツイストでのダブルラインを組む船長を、羨望の眼差しで見ていたものでした。

細いPEラインほど、ラインシステムを組んで、フロロカーボン等の単線を結節することの大切さは、常々釣り教室でもお話しさせていただいておりますが、当時はネットも発達しているわけではなく、見よう見まねでラインシステムを組んではスッポ抜ける日々が続いていたものでした。


そんな、懐かしくもあり、一生懸命だった思い出のお話しです。